今住んでいる街で、ひとつだけ不便だなぁと思うことがある。
 それは、大きい書店が近所に無いこと。

 昨日、エレクトーンのレッスンの帰りに、欲しい本があって新小岩と小岩の本屋をハシゴしたけど売ってなかった。
 ちなみに、探している本はずっとお城で暮らしてる
なのですが。

 そんなわけで、本屋の海外文庫の棚の前でひとしきりぼーっとしていたら、どうやらかなり本読みっぽいおじさんが同じ棚の前で熱心に本を棚からとってめくりだした。

 本読みの人って、一様に同じ空気を醸し出している。
 わたしは、傍から見たらこういう『本読み』の空気は出ていないのだろうなぁ…となんとなく思う。

 私は洋裁経験者のおば様に話しかけられたり、空気を共有することが結構多い。
 そういう感じと同じで、本読みたちの間でもおんなじ空気を感じてそれを共有することがあるのだろうなぁ…としみじみと思った。

 家に帰って海外名作をあれこれ『次はどれを読もうか…』とネット検索。ナボコフのロリータ
か、百年の孤独
か、ドリアン・グレイの肖像
かなぁ…とおぼろげに思う。
 なんとなく、ドストエフスキー とかに手が伸びないのは何故かなぁ…。堅苦しいイメージだからだろうか?
 それとも、作者の顔(髭面で気難しい表情の)が脳裏に浮かぶからなんだろうか?

 とりあえず、生まれてこの方一般書籍にほとんど目を向けずに来た分、多くの名作に触れたい。
 そして、読みながらいつも思うのは、
 小さい頃から読書をしろと言われて育つけれど、こういう人間くさいドラマを成長過程のうちに知るのはいいことなんだろうかなぁ…。
 と、そんなことを思ったり。

 私はハタチを過ぎるまで世の中はキレイなことばっかりだと信じて疑わなかったので、余計にそう思うんだろうか?
 それとも、この年齢になって読むからこそ、裏を読んでこういう感想を持つんだろうか?わからん。