光の中のブルー

Act.4 光の中の少年

 午後二時。
 まだ約束の時間より2時間も早いけれど、あたしは”あの場所”へと走った。
 きっとそこに、高志はいる。
 そう、信じていたから…

 疲れるのも忘れて、がむしゃらに走った。
 まだ日差しの強い午後。
 山の麓の暗い階段も一気に登り切ってたどり着いた。
 光があふれるあの場所に。

 …はぁ…はぁ……。

 木にもたれかかって呼吸を整えるあたしに向かって、声がした。
「とうとう…わかっちゃったんだね」
 …高志だ!

 いつものこの場所は、今まで見たどの時も比べ物にならないくらいに強く。柔らかい光を放っていた。
 あたしは、それを眩しいとは感じなかった。
 眩しさとは反対に、心には暗い空気が満たされていく。
「高志…あたしは、高志のことは、何も知らない。…教えてよ」
「…………」
 高志は、あたしの目を見つめたまま黙っていた。
 寂しそうな顔をして…。

「わかった、話すよ」
 静かに、そう言った。

 高志のその一言で、周りの木々までも静まり返ったように、あたりは静かになった。
 風は止み、太陽も雲に包まれて隠れた。
 さっきまでが嘘のようだ。
「真枝高志は、確かに、16歳の高校生なんだ…」
 高志はそう話を切り出した。

「ただし、八年前からずっと」

 真枝高志…昭和46年4月30日生まれ、16歳。
 高校一年の夏、行方不明になった少年。
 当時はニュースなどでも取り上げられたりしていたらしい。
 けれど8年前のこと。
 当時小学二年生のあたしが、覚えていられるはずがない。
 …でも、ほんの少しだけ、思い出したことがあった。
 テレビのニュースなどではない。

 母と、近所のおばさんの世間話。
 高志の家は、うちとはわりと近くだった。二人の家に交流はなかったけれど。
 もしかしたら、すれ違ったことくらいはあったかもしれない。

「俺は4歳の時に両親の親友の、佐伯の家に預けられたんだ。うちは子どもが六人もいて、預けられた先の家には子どもがいなかったし、義母は子どもが産める体じゃなかった。でも、どうしても跡継ぎが必要だった。だから、おれがハタチになったら、自分の意志で養子に入るか決めるように言われてた」
 …だから。
 だからこの地域に『真枝』は存在しなかった。
「そして、俺を預けた真枝の家族は、その2年後、事故で全員死んでしまった。祖父母ももうこの世にはいなかったし…。結果的に『真枝』はその時から俺だけになってしまった」

 …どんな思いだっただろうか。
 6歳の少年が抱えた物は、どんな大きなものだっただろう。
 預けられる前の、両親のことも覚えているだろう。
 きっと預けられたあとも、会ったりはしていたんだろうに。
 大家族だった真枝家は、一瞬のうちにひとりだけになってしまった。

「でも、佐伯の親は俺を本当の息子として育ててくれたから、別にそのことにずっと縛られるようなことはなかったんだ」
 …静かな空間に、一筋の風が吹き抜けた。

     ☆

 高志のこの後の話はこうだった。

 そんなショックも薄れて、もとの家族のことを思わずに過ごせるようになっていた16の夏。

「その日の俺はへんだった」
と、高志は言っていた。

 この場所の中央で、空を眺めていたそうだ。
 そしたら、急に頭の中が真っ白になって…
 宙に浮いたのを感じたらしい。

 そして、誰かに呼ばれた。

 読んだのは亡くなった高志の家族。
 高志は、突然この場所を守ることを命じられた。

 ここは、大切な場所だって。  天使が行き来するための入口になっている場所だから。
 高志は、亡くなった家族の言ったことを守ることにした。

 だから、ここを守るために、地上では死んだことにされてしまった。
 死んでもいない、生きてもいない存在になった。
 ただ、この入口を守るための存在に。

 それは、嬉しいことなのか。
 それとも、悲しいことなのか。

 話を聞きながら、高志の顔をじっとみつめていたけれど、
 あたしにはわからなかった。

     ☆

 高志の家族は、代々そういう身分としてこの世に生を受けたそうだ。
 亡くなったあとは、この場所を守る仕事をしている。
 悪い人が出入りすることのないように。

 しかし、不慮の事故で、真枝の血を引く者は高志を残してだれも居なくなり、結界のバランスが崩れてしまった。
 そのために、高志の力が必要になった。

 生きることも死ぬことも諦めて、すべて、その場所を守ることに尽くすための存在に。

 高志ほど、この役割にぴったりな人はいない。
 存在そのものが光みたいにキラキラと輝いて…
 秋晴れの日の空の色みたいに純粋で。
 限りないほどの広い心を持っている。

 そんな高志だから純粋な光を放つ。

「蒼乃…」
 小さく、静かな声であたしを呼ぶ。
「ん?」
 あたしも、同じように返す。
「俺のこと、嘘つきで嫌なやつだって思った?蒼乃のこと、ずっと騙してて…」

 高志の言葉は、あたしにとって意外だった。
「なんで?そんなこと…全然思ってないよ?」
「…でも、もう顔も見たくないって思ったんじゃないか?ずっと同い年だと思っていた相手が実は八つも年上で、しかももうこの世の人間じゃないなんてさ」
 高志はそう言って、少し苦しげな顔をしながらも、笑った。

 高志がこんなに苦しそうにしてたら、光も風も、植物も元気が出ないよ…。
「…どうして……?」
 言葉が胸に詰まる。
 こんなの…つらいよ……

「蒼乃…?」
 苦しさは、高志に名前を呼ばれたことで少しだけ和らいだ。
「…っ」
 同時に、打ち明けられたことが、言ってはいけない言葉になって溢れて出てくる。
「どうして…そんなこと言うの!?もうあたしとは会いたくないって思っているからなの?」
 言ってはいけないってわかるのに、理不尽だってわかるのに、とめられない。
「ねぇ!会いたく…ないなら…そう言ってよ……ね…ぇ…」

 なぜだか涙が出て止まらなくなっていた。
 変だよね、なんで涙なんて出てくるの…?

 高志とはまだ7回しか会ってないのに。
 それなのに…こんな気持ちになるなんて…。
 あたし、ヘン…なのかな。

「蒼乃?」
 高志の声は、今度は少し悲しげだ。
 そんな声を出されると悔しくなってくる。
 あたしは涙をぐしっと拭った。
「なんでもないよっ!あたしもう帰るね!!」

「待てよ」
 手首をぐっと握られた。学校中を走りまわされたあの時みたいだ…

「やだ…離して……」
 また涙が出そうだ…
「離さないよ」
 高志
「離したくない…ッ」

 あたしの片方の手首を掴んで真後ろに立っている高志は、思っていたよりもずっと背が高いように感じた。
 童顔なのに。子供みたいなやんちゃしたりするのに。
 やっぱり高志は大人だったんだな…と、思った。
 年は同じだけど、見てきた長さは、やっぱり8つ年上なんだ…

「高志…あたしも離れたくない。出来ることならばずっと一緒にいたいよ…」
 これが、あたしの精一杯の素直。
 告白するなんて、できないけど。

「ありがとう。でも、それは…できないんだ」
 頭の後ろから、悲しい声が帰ってきた。
「どうして!?一緒にいたらだめなの!?」
 離さないって言ったのは高志なのに。

「今は、いいんだ。だけど蒼乃は大人になっていく。16歳のままの俺と、いつまでも一緒にいるわけには、いかないだろう…」

 …あ、そうか。
 そうしたら、辛いのは高志なんだ。

「うん……」
 悲しいけれど、あたしたちは一緒にいることはできない…。

「でもっ……」
 言いかけたその時、だった。
 あたしたちに、信じられないことが起こったのは─────…