第一幕 十四歳(前編)

 ひとり暮らしをはじめて、一年半が過ぎた。
 中学校に入学する際、母親と離れて祖母の住むこの街にやってきた。祖母はメゾネットと呼ぶには古めかしいような借家の大家をやっており、祖母と一緒に住むことを希望しなかった私に空き部屋を与えてくれた。二階建てで、一階には台所と居間とお風呂とトイレがある。二階には六畳が二部屋。
 中学生がひとりで住むには広すぎるこの場所で、私は暮らしている。

 制服も冬服になってから少し経ち、北風が吹きつけてくる季節になった。
 十二歳まで友人を作ることもなく転校を繰り返して生きてきた私だったが、最近は少し違ってきた。仲の良い友人も出来たし、少しずつではあるけれど自分の考えを言えるようになってきた。

「吹雪ー。今日の授業午前中で終わりだって。だからもう帰るよー」
 私に声をかけてきたのは、繭里というクラスメイトで友人だ。二年に上がってから仲良くなった。
 彼女は少し大人びて、ませている。でも、クラスでは少し息を潜めているように感じる。ませていると知っているのは、仲の良いほんの数人だけだ。
「ん? なんで?」
「なんかさ、インフルエンザとかで早退したのが八人いたらしくってさ、ウチのクラス全員帰れってさ」
「ふーん…知らなかった…」
「吹雪はぼーっとしてるから情報を聞き逃すんでしょ。それがわかってるから私がこうして教えに来たんだよ」
  私はぼーっとひとりの世界にこもる癖があって、そのせいで学校生活はなにかと不自由しているのだが、こうして理解のある友人が助けてくれるのだった。
「じゃあさ、帰った後遊びに行くのもだめなのかー」
「そうだね、一応自宅待機しなさいだって。…まぁ、あたしはカレの家に行くけどね?」
「…好きにしなよ」
  くすくす…と、繭里と私は小さい声で笑いあった。
  繭里には大学二年の彼氏がいて、最近はほとんど彼の家に入り浸っているそうだ。

「吹雪、さっさと帰ろー」
「んーわかった。片付けるからちょっと待っててー」
  繭里の彼は一人暮らしをしていて、そのアパートが私の家のすぐそばにある。だから繭里とは登下校を一緒にすることが多い。 仲良くなったきっかけも、彼氏の家に足繁く通う繭里と、下校が同じタイミングになることが多かったからだ。
「繭里はさ、あんまり家に帰らなくて、心配されたり怒られたりはしないの?」
「あぁ、うちはネ、一応家族なんだけど、バラバラなんだよね。父親は仕事であまり帰ってこないし、母親は彼氏がいるし、姉ちゃんはもう独立してるしね」
 繭里は、言い淀むこともなく、サラリと家のことを話す。
「お母さんに彼氏がいるって、お父さんに知れたら大変なことになるんじゃないの?」
「いや、それがさ、父親も知ってるんだよね」
「え? それはいいの?」
「いいんだよ。父親はさ、それも含めて母親のことが好きなんだって言ってるし」
「ふぅん…」
 家族も色々なんだなぁと、ぼんやり思った。

        ☆

 私はそんな話をしながら繭里と別れ、家に帰ってきた。
「ただいまー……」
 だれもいない家に向かって帰宅を告げる。
 これは癖みたいなものだ。母と暮らしていたときはそんなこと言わなかったはずなのに、不思議だなとたまに思うことがある。
 ひとり暮らしをするようになってから、独り言が増えてきたと感じる。

 ちなみに、中学入学直前から約二年間この部屋で生活しているけれど、相変わらず一人の時間は持て余している。
 繭里のように彼氏がいるとか、もう一人の友人である美紗紀のように、部活を楽しんでいるとか、そういう夢中になれるようなものがあるならば、こんな風に中学生でひとり暮らしでも時間を持て余すことも少ないのかもしれないが、私は二人のような「何か」がないので、家でぼんやりしていることが多い。
「うぅぅ…寒い…」
 制服から部屋着に着替えたあと、いい天気だったので縁側で日向ぼっこしようとしたら、家の中は思いの外寒かった。テレビの近くに置いてある一人用の電気ヒーターをズルズルと持ってきて、電源を入れた。
 カーテン越しに掃き出し窓に寄りかかっていると、太陽の熱で背中がほんわりと暖かくなってくる。ふわふわのひざ掛けも可愛くて暖かいのでお気に入りだ。
 とりあえず、鞄の中から読みかけの本を取り出して、続きからめくった。
 本は、おしゃべりが上手に出来なかった小さい頃、当時住んでいたアパートの大家さんとその家族が与えてくれた、唯一夢中になれるものだ。一人の部屋で、何の音もなくても寂しくないし、夜はこれのおかげで怖くない。
 私は、青春小説ばかりを好む。思ったことをうまく言葉に出来ないから、仲間とか友情とかそういうものに強く憧れるのかもしれない。

「吹雪、いるか?」
 現実から少し遠ざかった頃、どこかからかすれた声が耳に入ってきた。
 そっとカーテンをめくって外を見ると、共有スペースである中庭の窓から少し離れたところに同じクラスの冬島が立っていた。カーテンの隙間から覗いているとその様子に気づいた冬島がこちらに近づいてくる。
 私は読みかけの本に栞を挟んで床に置き、窓を少しだけ開けた。冷たい風がひゅうっと部屋に入り込んでくるので、ちょっと震えた。
 彼はアパートの隣の隣に住んでいる。私の祖母が大家をしているためか、祖母と彼の母親はちょっと親しいらしく、ひとり暮らしをしている私の事情を理解している。そして、結構頻繁に様子を見に来てくれる。
「なあに?」
 ほんの数センチの隙間から私は彼に返事をする。
「これ、おふくろがお前に持って行けって……」
 見ると、両てのひらくらいの大きさのタッパーを抱えていた。
「あ、ありがとう。おばさんにもいつもありがとうって伝えてくれるかな。…あ、あと前におかずもらった時の容器、借りたままだから返しておいてもらえるかなあ」
 私は台所に容器を取りに立つ。何日か前に冬島のお母さんが私が帰宅したのを見計らって届けに来てくれたのだ。洗って乾かしておいた青い蓋のタッパーを取って、ビニール袋に入れる。

「珍しいね、冬島が持ってきてくれるの…」
 空の容器を渡した反対の手で、冬島からタッパーを受け取る。
 それは、まだほんわり暖かかった。
「どこにも出かけられないから家でテレビ見てたら、おふくろが持って行けってうるさくってさ…」
「そっか…」
 ふと、彼の視線に気がつく。視線の先を追うと、私の膝頭に行き着く。
 そういえば、さっきまでひざ掛けをかけてたけど今は部屋着の短パンのままだ…。久しぶりに祖母と買い物に行った際に目について買ってもらった部屋着だ。
 クリーム地に、薄い紫とピンクの大きいボーダー模様が入ったもこもこのやつだ。私はその短パンから伸びた生白い骨ばった足を眺めて貧相だな…とぼんやり思った。伸びていた身長だって、一年くらい前にぴたりと止まってしまった気がする。

「じゃあ…渡したからな!」
 突然大きな声になった冬島は、からっぽのタッパーの入ったビニール袋をがさがさと振り回しながら去っていった。私はそれを見送ってから掃き出し窓を閉めて、もう一度自分の足を眺めて、ため息をついた。

 繭里は、同じ年だがやたらと色香の漂う友人だ。
 彼女は、中学二年にして大学生の彼氏がいる、私とは細胞の構造とかからして、なにもかもが違うような気さえする。
 身長は私より十センチも高いし、細いくせにふんわりとしたやわらかい躰をしている。そのくせ、性格はサバサバしていて嫌味がない。ああいうのが、年上のおとこにもてる秘訣なのだろうな…と感じることがあるが、本人にあまり自覚は無さそうだ。
 なんだか少し悲しくなって、冬島に渡されたタッパーをこたつの上に置き、繭里に借りたファッション雑誌をめくってみた。
 そこには、自分と同じくらいの年齢の女の子たちが、カラフルな洋服やアクセサリーに身を包んで写真に撮られている。お化粧もしっかりしていて髪型もバッチリだ。パッと見はとても同年代だなんて思えない女の子ばかりでページが埋めつくされている。私が住んでいるこの街からは幾分か遠く離れた都会で撮られたストリートスナップだ。
 私は、色々な場所に暮らしてきたが、そういえば都会で暮らした経験はないことに気がついた。いつも、私の周りには緑が広がっていて、周りには優しいおとながいっぱいいたのだ。
 あまり仲良くなれなかった同級生も、この雑誌に載っている人たちみたいに洗練された子は、いなかったように思う。
 雑誌に載っている人たちの住む世界と、私が住んでいる世界が同じだなんてちょっと信じられない。

 でも、繭里に会ってからというもの、どうにもこのおしゃれな世界は自分が思っているよりも身近にあるのだと気付かされる。そして、彼女たちはもしかしたら、この緑ばかりの田舎にもこっそりと目立たないように潜んでいるのではないかと思えるようにもなってきた。
 現に繭里は学校ではあまり目立つタイプではなく、息を潜めるように学校ですごしているような感じを受ける。そして、その色香は近くにいても心を許してもらえない限りなかなか気づくことができない。こんな近くに、異星人が生活しているなんて思いもよらないからだ。
 大人が私たち子供を見た時、きっと彼女の匂いに気がつくのだ、他の乳臭い子どもとは違うと。そして、繭里に近づくことが許された年上のおとこの前でだけ、彼女はふんわりと開花するのだろうか……
 それに比べて私は、背もちいさいし繭里のように色気もない。中学生に見えるかどうかもちょっと疑問だ。

 私の母は十七歳で妊娠している。
 私はもうすぐ十四歳になろうとしている───あと三年でおかあさんみたいに子供を産む決意ができる人間になるとは、とてもではないが思えない。そもそも人と話すのだって満足にできないっていうのに……

 母と暮らしていた時は、誰かと話がしたいとか自分が考えてることを誰かに伝えたいだとか、そういうことはしてはいけないと思っていたし、したいとも思わなかった。けれど、母と離れてこの街にやってきて、友だちもできたりして、少しずつ話ができるようになってきた。
 それでも悩みがあった時、誰かに相談できない私がいる。
 どこから話したらいいかもわからないし、どう話していいのかも分からないし、そもそもそれは他の人に話していいことなのかどうかもわからない。
 でも、繭里や美紗紀は、自分が困ってることや悩んでいることがあれば、私にも助言を求めてくるし、二人で話してもいる。二人で相談し合った結果、笑い話になってしまったりもする。私は、友だちの悩みにも気が効いた返事をすることができない。それはとてももどかしいことだ。
 会話教室というものがあると知った時は本気で通ってみたいと思ったりもしたし、ビジネス書を読んでみたこともあったけれど、普通の会話にはあまり役に立たなそうだと思えた。それに私にはすこし難しすぎた。

 こたつの上のリモコンを取ってテレビをつけると、お笑い芸人さんがなにやらコントをやっている番組が映った。
 私もこんな風に話ができたらいいのになぁ…と思いながら、冬島が持ってきてくれたタッパをあけて煮物をつまんだ。
 冬島のおばさんの煮物は少し甘い。母は煮物を作ってくれたことがないので、お袋の味というものはよくわからないが、小さい頃に住んでいたアパートの大家さんが作って食べさせてくれた煮物はもっとお醤油が多くてしょっぱかった。
 大家さんのが田舎の味だとすると、冬島のおばさんの煮物はお上品な都会の味がすると思った。

 私の田舎はどこだろう? 生まれた街だろうか。
 本当に小さい頃に住んでいただけだから、詳しい住所もよくわからない。
 けれど、誕生日の頃に一度、生まれた街にいってみたいな…と思った。

        ☆

 朝、携帯の鳴る音で目が覚めた。
 繭里からの着信だった。
「…お…おはよう…」
 精一杯、もうずっと起きてましたよという感じに虚勢を張って声を出してみた。
「なに、吹雪起こしちゃった? 連絡網なんだけど、今日は通常授業だからいつも通りの時間に登校するようにってさ。私、八時ちょい過ぎたら吹雪の家に行くからそれまでに準備済ませておいてよね」
 と、要件だけ話して電話は切れた。
 私は連絡網の最後なので、担任の携帯に連絡をする。
「あ…先生ですか、おはようございます。連絡網届きました……。あ、はいじゃあ…学校で」
 時計を見るともう七時四十五分。慌てて準備をする。今日も朝ごはんを食べる時間はなさそうだ。
 髪型をまとめるのに四苦八苦していると八時ちょうどに繭里が迎えに来た。
 ちょっと待ってもらって着替えていると、そのあいだに繭里は私のためにパンを焼いてくれていちごジャムとマーガリンをいっぱい塗ってくれていた。
 私はそれをありがたく食べつつ、二人で学校まで向かった。

「私さ、生まれた街にいってみたいんだよね」
 そんな言葉が口をついて出た。自分でも意外だった。
「吹雪は、点々と暮らしてきたんだっけ? 生まれたのがどこなのか、知ってるの?」
「すごく小さい頃だったから、あんまり詳しくはわかんないんだけど、引っ越してきた時の荷物の中に母子手帳があったと思うんだよね。そこに生まれた病院とか、暮らしてたアパートの住所は書いてあるんじゃないかなあ」
「そこに行って、吹雪は何がしたいの?」
「んー…あの頃はおかあさんもまだ夜の仕事を始めていなくて、いきなり引っ越して私が生まれて…すごくいろいろな人にお世話になったんだと思うの。だから、その人たちに会いに行きたい。もし私のことを知っている人がいたなら、当時のおかあさんのこととか、聞いてみたい…」
「じゃあ…そのことは、美紗紀にも相談してみよう。それで、3人で春休みにでも行ってみよう?」
「うん……ありがとう」

 私には一緒にいてくれる友だちがいる。
 でもおかあさんには…私みたいに仲のいい友達が居たんだろうか?

 小さいころ、私はなかなかおしゃべりが出来るようにならなかったし、今も得意じゃないけれど、今では私のことをわかってくれる友だちがいる…恵まれていると思う。
 私がなかなか話せるようにならなかったのは、おかあさんがあまり話をしてくれる人じゃなかったからだ。家ではほとんど話をしない寡黙な人だった。…おかあさんは、私と同じくらいの年の時はどんな毎日を送っていたんだろう?
 十二年間一緒に暮らしてきたけれど、そもそも私と母の生活リズムが合わなかったこともあるし、近所にも母の子供の頃を知っている人がいなかった。
 祖母には…なんとなく母のことを訊くことが出来ずにいる。

 母が家出をした経緯や、私が生まれた後にどんな生活をしてきたかというのは、家で見つけた日記帳に書かれていた。
 その日記帳は、家出をして雪国に引っ越したその日から始まっていた。しかしその後夜の仕事を始めた頃を境に、何も書かれなくなってしまっていた。
 もしかしたら、祖母の家を探したら、もっと小さい頃の母の日記帳がどこかに眠っているのかもしれないと思う。
 今度…おばあちゃんの家に行って、もしおかあさんの部屋に入れる機会があったら、探してみよう。それから、勇気を出しておばあちゃんにおかあさんの話ができるそんな日が来たらいいな…と思う。

 ───ぼんやりしてしまうのは私の悪い癖だと思う。
 一時間目の授業中、私は母のことを考えていた。

 古い校舎なので隙間風が冷たい。
 そういえば、おかあさんもこの校舎で授業を受けていたはずなのだ。その頃はまだ建て替えて間もなかったはずのこの学校…この校舎。
 今よりも生徒の人数は多かったのだろう。今、空き教室になって物置部屋になっているあの教室でも、こんな午前中にはたくさんの中学生が身を寄せて、今の私と同じように授業を受けていたのだろう。

 黒板に向き直ると中年の女性教師が、私達に向かってテンションの高い授業を繰り広げている。
 英語の授業だ。私は日本語ですら上手に話せないのだ…英語は特に苦手な科目だった。
 大きい声を出すのも上手にできないし、人前で発言するのも苦手だし…。
 英語や国語などの教科書を長く読まなければならない授業の時は、私はなるべく教師の目につかないように、できるだけ存在を薄くして過ごしている。
 特に教科書を読むのは苦痛だった。たとえ1ページであっても、心臓がドキドキして声も手も震えるし、文節区切りの度に息を吸いすぎてしまって苦しくなる。吸い過ぎた息を合間に吐き出そうとすると更に声が震えるのだ……。できることなら避けたい…。
 …というか、先生も生徒の性格を理解して指名してくれたらいいのになぁ…。

 あと十五分…なるべく何事もなく授業が終わりますように…。

        ☆

 英語の授業は運良く、教科書の読みを当てられることがなく終了した。
 その代わり、古文の授業で当てられて散々だった。呼吸が苦しくならないように、なるべくトチらないで読めるように…色々なことを考えすぎてお経を読んでいるみたいになった。繭里にはこっそり笑われていた。
 そして、体育の授業ではバレーボールだったんだけれど、サーブはネットまで届かないし、チームメイトと衝突するしで、なんだか今日は良くないことばっかりが起きている気がする。
 勉強も中の下くらいの成績だし、運動もどっちかというと苦手だし、私の取り柄ってなんだろう? とか考えていたら益々落ち込んできた。

「あーあ…もう今日は散々だよぅ……」
 全部の授業が終わって、なんだかすごく疲れて、机に突っ伏した。
「吹雪は、いろいろ考えすぎなんだよ。いい日も悪い日もあるよ、仕方ないよ。周りの人がどう思うかとか考えすぎー。もっと好きにしちゃっていいんだから」
「繭里……そんな慰めとか叱咤はいらないよう。これが私だもん…簡単には変わらないよ…」
「ほらほら、そうやって落ち込んでると、またどんどん悪いことが寄ってきちゃうんだからね、知らないよー」
 繭里はそう言いながら私の背中を叩いてくる。
「繭里おかあさんにはわかんないよー……。私なんかなんにも取り柄とかないもん…」
「もうっ、私はそんな大きい娘を産んだ覚えはありませんよー」
 私の卑屈な発言をものともせず、繭里はからからと笑う。
 繭里が笑うたびに私はどんどん卑屈になっていく。繭里に嫉妬する。こんな私は好きじゃないのになぁ。
「あれ? ふたりともまだ残ってるの?」
「美紗紀! もう、吹雪がまた卑屈っこになっちゃったんだよー。美紗紀からも何か言ってよー」
「吹雪、何かあったの?」
「古文の授業で教科書読みが当てられてうまく読めなかった…あと、体育のバレーボールでみんなに迷惑かけた……」
「なーんだ、そんなこと」
「そんなことって! わたしにとっては大問題なんだよ〜!」
「違うって」
 美紗紀は私の顔を見てやはりカラカラと笑う。
「吹雪がそういうキャラだってことは、みんなもわかってるよっていう意味」
「うぅぅ…。泣くよ……」
「大丈夫だよ、吹雪は勉強も運動もあんまり得意じゃないけど、優しいちゃんとしたいい子だよ」
 美紗紀は机に突っ伏している私の頭をぽんぽんとしてきた。
「ところで美紗紀、きょう部活は?」
 繭里が美紗紀に尋ねる。
「なんかさー、顧問が練習場所確保するの忘れてたんだって、だから自主練したい人は学校外周マラソン。私はたまには休んでもいいかーと思って、で、帰ろうと思って教室に戻ってきたら二人がまだ居たからさ」
「そっかー。あの顧問も相変わらず抜けてるのか」
「そうそう、もうダメダメでみんな困ってんのよ。
 …だからさー」
 美紗紀はにんまり笑って続ける。
「久々に三人でうさぎカフェいかない?」
「…いくっ!」
 と食いついたのは、私だ。
「もう、今日あったことは甘いもの食べて全部忘れたい!」
「そう言うと思ったよ。じゃあ着替えてくるから、それまでに帰りの準備しておいてよねー。私は繭里みたいに待っててあげないんだからね!」
 そう言って後ろ手をヒラヒラさせながら美紗紀は教室を出て行った。

 私たちはおしゃべりをしながら、帰るしたくをしていたんだけれど、部室に戻った美紗紀が教室にもう一度戻ってくる時間を考えたらだいぶ早く済んだので、二人で美紗紀の部室のほうに向かうことにした。
 部室棟に向かって歩いて行くと、遠くから聞き慣れた声が聞こえてくる。美紗紀だ。
 近づくとだんだん見えてくる。背の高い男子と何か楽しそうに話している。
「…これは、繭里さん!」
 ごくんとつばを飲み込み小声になった私とは対照的に
「美紗紀、乙女だなぁー」
 なんだか余裕の繭里がいた。
 美紗紀はいつもはボーイッシュでさっぱりしていて、バレンタインには女子からたくさんチョコレートを貰っちゃうような子だ。
 その美沙紀が、男子を前に、普段は聞かないような少し高めのすました声で話をしている。そしてからかわれると、かわいくむくれて男子にあたまをポンポンとかされて…る。
 いつもとの違いにあたしは言葉を失っていた。
 話が終わったところを見計らって、繭里が美紗紀に声をかけた。
 私達に気がついた途端、美紗紀はぼっと音が出るくらいに急に顔を真っ赤にした。
「もしかして……、見られていましたか?」
「うふふふふ、バッチリ見ちゃった。美紗紀も乙女だったんだねぇ。おかあさんは嬉しいよ」
「!!」
 あぁぁ…と美紗紀はしゃがみこんだ。
 私は心配になって駆け寄った。
「あの……美紗紀?」
 しゃがんでうずくまる美紗紀の横に私も屈みこんでしばらく様子を見ていた。
「は…はずかしすぎー!!」
 美紗紀の叫びに、きぃん…と耳がした。
「…恥ずかしくないよ? 美紗紀、かわいかったよ?」
 なんとか持ち直して欲しくてそうやって声をかけたら、もういちど美紗紀は顔を隠してしまった。
「吹雪…それは傷に塩を塗ってるよ?」
「そ…そんな! あたしは美紗紀に元気になって欲しくて…」
「わかってるって、吹雪が優しいってことは知ってるよ。吹雪はそのままでいいんだよ」
 そう言って繭里は私の頭をなででくる。なんか…子供扱いされてる気分だ…むむう。
「と、とりあえず、うさぎカフェに行こうか」
 桃色に染めた頬のまま、美紗紀が言った。眉毛を少し下げて照れくさそうに。でも今まででいちばん可愛らしい美紗紀だと思った。

       ☆

 うさぎカフェでは三人とも、雪うさぎとココアを注文した。
 雪うさぎは、求肥の中に生クリームと細かく切った色々なフルーツが入っている大福の表面に、ホワイトチョコの耳と、アラザンを赤くしたみたいなのが表面にくっついていて、ほんとうに雪うさぎみたいだ。
 お店は、古い建物で、家具も古い。そして、店内のあらゆる所にうさぎが鎮座している。
 つまようじ立ても、振り子時計の振り子も、ドアノブも、椅子の背もたれもうさぎの形をしている。
「でさ、吹雪、今朝の話なんだけど」
 繭里が唐突に話しだした。
「んん? なんだっけ」
 学校で色々落ち込むことがあったおかげですっかり忘れてしまっていたら、繭里が「生まれた街に行ってみたいって話のことだよ」と、言った。
「ああー、うん。一番古い記憶が雪の中でさ、どんなところか言ってみたいなぁと思って」
「それさ、せっかくだし吹雪の誕生日くらいに行かない?」
「えー…だって、二月だよ。学校あるじゃん」
 せめて春休みじゃないかなとか、繭理と話していたら、美沙紀がどんな場所か訊いてきた。多分北日本のほうだよと話したら。
「それじゃあ、雪のあるうちは難しくないかなぁ。大人と行くわけでもないんでしょ、難しいよ」
と、言った。確かにそうかもしれない。私の記憶の中の生まれ故郷はものすごい田舎で、おそらく冬に行ってもなにもすることがない気がする。
「だったらさ、今のうちからちょっとずつ計画立ててお小遣いも溜めて夏休みに行こうよ。そのほうが時間もあるし」
 案外現実的な美沙紀だった。
「じゃあそれでいいけど、美沙紀はその時になって彼氏出来たから行けないーとか言わないでよ?」
「あはは、大丈夫じゃない? それに何があっても一緒に行くって約束するよ。……繭里も大学生の彼氏とリゾートに行くから行けないとか言い出さないでよ〜」
 そう言って、二人は笑った。私、みそっかすだなぁ……と思うと、ちょっと寂しい気持ちになる。
 でも、彼氏以前に人との接し方がわからないし、どうして異性を好きになるかもイマイチわからなかった。

 おしゃべりしている間に雪うさぎは溶けて、中から生クリームがどろりと出てきた。

       ☆

 うさぎカフェで旅行の計画を立ててから数ヶ月。年も開けて、私は無事に十四歳になった。

 荷物整理をしていた。
 母と一緒に住んでいたアパートから出て来る際に詰め込んだダンボールだ。
 二箱あったダンボールのうち、一箱は文房具とかの必要な物が入っていたからすぐに開けて整理したけど、もう一箱は手つかずのまま二階の空き部屋に置いてあった。
 手つかずのダンボールには、捨てるに捨てられなかったものが入っており、開けるのが怖かったこともあってそのままにしてしまっていた。
「どれに入ってたんだけなあー」
 しかし、夏休みに三人で私の生まれ故郷へ旅行に行くことになったため、母子手帳を探すことになったのだ。本当は持ってくるつもりはなかったのだが、母が留守中に慌ただしく荷物を詰め込んで持ってきたために、細かく見ている暇がなかった。
「あ、これの中だったかぁ」
 母子手帳はわたしが子供の頃好きで持っていたマンガのキャラが書いてあるA4サイズくらいの厚紙で出来たバッグの中に何故か入っていた。
「あ、やばっ」
 厚紙を組み立てただけのバッグは古くなっていたためか底が抜けて中身がバラバラと床に散った。
「あちゃー…これを片付けるケースか何か買ってこなきゃなぁ……って、あれ?」

 バッグの中には、母子手帳の他に、見覚えのないノートとか、可愛いイラストがプリントされた紙がたくさん入っていた。
 気になって開いてみると、母の十代のころの日記やメモ書きだった。