我が家の猫は13歳。飼い猫としてはまだまだ生きるであろう年齢。
しかしあぴょは若い頃から唾石症持ち。去年から咳の治療を続けている。

ずっと病気知らずのさくらも先日発熱、熱が下がってから1週間後、ご飯を食べなくなった。
口内炎だったようで、治療の甲斐あっていまはちゃんと食べているけど。

猫の終末期介護の動画などを偶然に見た。見ているうちに実家の猫のことを思い出した。
1996年10月9日夜、子猫が鳴いているという近所の親戚からの電話。翌朝見に行くと木の下に隠れていた。潜り込んで捕まえ、抱っこするともう離れなかった。

6年後、私は実家を離れたが、猫に会いたさに時折帰省した。
東京に戻るときに「3ヶ月度にまた来るから元気でいてね」って行って東京に戻った。
ある日帰省した時は腎不全が進みやせ細っていて、その言葉をかけることは猫にとって重荷になるだろうと言えなかった。

それから少し経った頃、本当に最期であるだろう時、母から「そろそろダメそうだから時間があったら見に来て」と連絡があった。
私は仕事を早退して実家に向かった。

私がついた頃には少しだけ元気になっていたようだった。
寝返りを手伝って、様子を見た。「がんばったね」「えらかったね」と声をかける。
1泊だけして翌朝東京に帰ってきた。

東京に戻ってきた日の夜、仕事が終わって、メールを見ると母から「もみぢ、虹の橋を渡っていったよ」とメールが届いていた。20歳目前、19歳10ヶ月と猫にしてはなかなかに長い人生を送った。飼い犬の最期を看取ったのも彼だった。
最期の時はまるで、私が会いに行くのを待っていてくれたみたいだなと、自惚れた。

動物と一緒に暮らしている以上、それは逃れられない、いつか現実にやってくる。
その時、私は何をしてあげられるだろう? 体調を崩した猫を見てそんなふうに思う。今から少しずつでも覚悟を決めていかねばならない。いつかその時は来る。

願わくば、それが何年も何年も(できることなら何十年も)後のことであることを願うばかり。

それにしても自分は、キジトラとの相性がいいように思える。
私を育ててくれた猫(母が結婚して引っ越した際自ら歩いて母の元へ引っ越してきた)も、キジトラだったのでした。

左の人間は幼き日の私であります。

チーともみぢの間に白にキジトラ混じりの猫、チーヤがいたのだけれど、残念ながら私のPCには入っていなかった。
コロナが落ち着いて帰省できる日が戻ってきたら探してこよう。