敢えて『鬱』の場所に身を投じているような今日この頃です。
私にとって『鬱』の気持ちというのは苦しいと同時に、普段は抑圧されて表に出てこない表現する心(妄想みたいなもんです)を、外に出してあげるための手段でもあるのです。
何か『答え』を導き出そうともがき、苦しむ中で新たな発見があって、そこからまた前に進んでいける。
そして、思いついた言葉たちは、どこかに記しておかないとどんどん消えてなくなっていってしまう。
だから、自分にとって今ならばブログという表現手法は大切で、なくてはならないものなんでしょう。
それは、高校生の頃は『手紙』だったり、授業中に書く小説であったりしました。
何かが書きたい…けど、何も表現できないのは苦しいです。
そんな時、私は自分の手で『鬱』状態に追い込むのだと思います。
今は、落ち込んではいないけど、心の中は鬱の時のそれと非常に近いものがあります。
どちらかというと、『自分に酔う』という表現が近いか。
何か書きたいなぁ…小説の『ようなもの(ここ重要)』。
でも、ストーリーなにも思い浮かばない。
高校3年生の終わり頃から何も思い浮かばなくなった。それが今でもたまに苦しい。
私の中のなにかが疼く。
本当は、自分自身で表現の心を奥底に沈めてしまっただけなのではないかと。
そして、自分自身の手で、心を落ち込ませていく。
そうすれば、普段隠している本音が出てくるに違いないから。
…また、そう思い込んでいるから。
……そういえば、2個前のエントリーも、そんな気分で書きました。
たまに蘇って来るんですよね。もうとっくの昔に済んだことが、つい最近のように。
そういうときはなるべく思い出すようにしています。
そして、その頃の私と向き合って、なるべく要望を叶えたいと。
…ふと思う。
私は鬱ではないんじゃないかと。
病院でも、ほんの少しの薬しか処方されないし。
それでも、毎日生活していけるし。
だんだんわからなくなってきた。