ほんのわずかな波乱。

 私は椅子に座って、ひも付きのネズミのおもちゃで猫たちを遊ばせながら、ネットを巡回してた。
 そしたら、私が振り回してるネズミとは無関係に暴れてる…。

 最初、ケンカでもしてんのかなーと思ったんだけど、その瞬間、1ぴきだけ普通にお座りしてる姿か見えて、反射的に振り向いたら、あぴょが首輪を口にはめちゃって、外れなくなって大暴れしてた。

 うちで使ってる首輪は引っ張ると外れるやつじゃない。
 あれはサイズが大きくてまだ使えないので、小型犬用のやつを使ってて。

 ベルト式じゃなくて、カチっとはめるとこがついてるやつ。

 さくらは、そのトラブルは3回目経験があって、口にハマっちゃうたびにあたしの部屋に駆けんこんでくるから、外してこともなく終わる。
 でも、あぴょは初めてで、しかも暴れ方が尋常じゃない。
 外そうと思っても、悪いことに取り外すところが口の中に入ってて、口の中に手を入れたらイヤがってガブっとやられた。

 今度は首輪を回そうと思って少し動かしたら、ハンパじゃなく暴れた。
 今までに見たこともないくらいに、あぴょが冷静さを失ってた。

 私は一瞬、実家でもみぢさんのケンカの仲裁の入って、大きなケガをしたことが頭をよぎって怖くなった。
 だけど、家にはわたしひとり。誰にも助けてもらえない。

 私が助けるしかない。と思って暴れるあぴょをじっとさせようとして、なんだか血の臭いがすることに気がついた。
 あぴょは今、歯が永久歯に生え変わる途中で、まだ抜けるのには少し早いにも関わらず、1本歯が抜けて血が出てた。

 これで痛くて冷静さを欠いてたんだなと思って、なんとか動きを止めてやっと首輪を外せた。

 あぴょはよろよろしながら台所に向かっていって、それに付き添うみたいにぺったり横にくっついてさくらが一緒に歩いていった。
 私もついていって、あぴょを抱っこして『歯が抜けちゃって、痛かったんだよね。もう大丈夫だよ』ってナデナデした。
 自惚れかも知れないけど、あぴょが少しずつ落ち着いていくように見えた。

 抱っこから開放されると、あぴょは自分の体に着いた血を落とすように、腕をなめて、その間に私はお水を取り替えて『しみるかもしれないけど、お水飲みな』って言ったら、自分で水の入った器まで行って、自発的に水を飲んだ。

 なんだか、私も緊張の糸が解けてほっとした。
 ふと、気がついたら私の腕と、それからTシャツ越しにお腹にまで、引っかかれたキズが出来てた。
 でも、もみぢにやられた時ほど酷くない。ほんとに少しの引っかき傷。

 で、Tシャツにはあぴょの歯茎からでた血が何箇所もついてた。

 痛かっただろうなぁー…と思いながら。
 トラウマになってないといいな…とちょっと心配になった、そんな夕方だった。

 この波乱の後、やっぱりもっと猫について詳しく知りたいと思い、色々と調べていたところ、以下のサイトにたどり着きました。

 CIN

 このサイトには、捨て猫の辿ったあまりにも悲惨な様子が書かれています。
 この実例を読んで、私ははらわたが煮えくり返る気持ちでした。

 また、捨てる理由で『子供が生まれる』というのがあるみたいで、以下上記サイトの文章を転載します。

子供が生まれる

理由になっていません。猫と赤ちゃんは共存できます。猫はあなたの都合のいいときだけ側にいる玩具ではありません。物言わぬ小さな命を慈しむことが出来ないのに新しい命を育み慈しむことが出来るわけがありません。子供が産まれるから猫が飼えないと言い出した時点でその人の人間性を疑わざるをおえません。猫に触れる事により子供は命の大切さを知り弱いものを守る優しさを育てるのです。また最近の日本人に欠落しがちな抵抗力や免疫を獲得してゆきます。

 私は、生まれた頃から家には猫が居て、猫に教えられたこともあるし、猫のおかげで成長した部分も大いにあります。母からも散々話を聞かされています。
 私は、赤ちゃんの頃から猫と一緒に暮らしていて、本当に良かったなぁと、心から思っています。

 3歳か4歳の頃、最初に飼っていた猫が亡くなり、私もその猫を土葬する現場に居ました。
 小さい子供に、死と言うものを見せるのはあまりにも残酷だと思う人もいるかもしれません。
 でも、父が大きな穴を掘って、猫(ちー)は毛布に包まれて、土に埋めて。
 父と母と母方の祖母と4人で一緒に埋葬しました。

 母と祖母は泣いていたように思えます。
 気丈な祖母の涙を見たのは、あまり覚えていませんがこの1度だけです。

 ずっと一緒に暮らしてきた猫が死んで悲しいと言うことは、当時の私にはよくわかりませんでしたが、一緒にあそんでくれたちーが居なくなってしまったことは、私にとってとても淋しいことだったように思います。

 こうして、命の大切さを知り、その後一緒に暮らした『チーヤ』と現在実家で暮らしている『もみぢ』にもいろいろなことを教えてもらって、小さな頃から私は猫が大好きでした。

 チーヤは、家の中でスプレーをよくして、強烈な臭いを家中に漂わせていました。
 それをするたびに、父に首をつかまれ、自分のしたスプレーを鼻に押し付けられ、しかられていました。

 でも、同じ男として去勢をするのは可哀想だという父の気持ちもあったようです。
 母は、以前に去勢の経験がないので悩んでいました。

 去勢した方がいいよ!
 …と、私が言ったのを自分でも覚えています。

 私にはさかりがついてスプレーをするチーヤの気持ちはわからなかったけれど、それで叱られているチーヤがとても辛そうにしていたからだと思います。
 その後、チーヤは去勢手術をし、すっかり落ち着き父に叱られることもなくなり、13年の生涯を遂げました。
 亡くなるその時まで、母と二人で寝返りをさせてあげながら見守りました。

 早朝に、チーヤは亡くなりました。

 ちーの時と同じように父が穴を掘り、埋葬しました。
 今、ちーが埋葬されている場所にはカリンの木が植えられており、1年おきにたくさんのカリンを実らせます。
 チーヤが埋葬されているところには花が植えられています。

 同じく2004年の夏に犬のポコが亡くなった場所にもたくさんの花が植えられています。

 そんな環境で私は24年間を過ごしました。
 そして、自分の責任で猫と暮らすことが決まった時。

 嬉しいのと同時にたくさんの不安に襲われました。
 初めて見たあぴょとさくらはあまりにも小さく、弱々しく感じました。

 生後5ヵ月半程度経過した今でも、上記のようなトラブルがあれば心配しますし、これから迎える思春期と避妊手術にもとても心配をしています。
 でも、猫のおかげで私はすこし元気になり、やっぱり猫にはたくさんのものを貰っているんだなぁと実感しています。

 もしも、私が子供を授かることがあったら、あぴょとさくらが大人になった頃に対面することになるんでしょうか?
 まだ、子供を作る予定以前に結婚すらしていませんが、自分に子供が産まれたなら、愛することや命の大切さを動物を通して学んで欲しいなと思います。
 自分がそうであったように、それは自分が生きている中での財産になると思うからです。

 一緒に暮らした動物を看取った経験があるならば、虐待をしたり気軽に捨てたりする人間にはならないと、自分の経験からも思います。

 動物を飼っている方、もしも読んでいるならば、キッカケは万が一ブランド感覚であったとしても、それは自分や家族と同じだけの重みを持った家族であると自覚して、決して見放すことなく生涯を共にしてください。