桜庭一樹さんがある日Twitterで怒りを露にしていた。珍しいな、なんだろうと思い一連の流れを追ってみた。
先日発表された『少女を埋める』という私小説の実際の内容と違ったあらすじが批評で書かれている、そしてそれが新聞掲載というかたちになってしまったので、実在の人物に被害が及ぶ可能性がある、とのこと。

家父長制社会で夫の介護を独り背負った母は「怒りの発作」を抱え、夫を虐待した。(朝日新聞 文芸時評)

とある。これを著者は「そのような事実はない」として反論している。

少女を埋める(note)
(文芸時評)ケア労働と個人 揺れや逸脱、緩やかさが包む 鴻巣友季子

note掲載分を読んでみた私の感想ですが、文芸時評に書かれているようには私には読めない。
そして、こういうのって作者チェックとか無いんだな。という驚きがまず先に来た。

以下、自分語り。

自分の母親も「怒りの発作」というのがあり、私が小さい頃は特に育児ノイローゼだったのであろうと、大人になった自分は感じいるが、子供の頃、理不尽に怒り狂った母に湯飲みのお茶を投げられたこともあるし、ハンガーで叩かれたこともある。これに関して言えば、私自身は特になにか悪いことをした記憶はなく、なにがしかの母の地雷を踏んだがために突然母が我を忘れて怒った。と、自分のなかでは記憶している。ちなみに、30年ほど前の話で、今の常識に当てはめて物事を考えないで欲しい。ということも書いておこうと思う。
ちなみに、大人になってからこの事を母に言ったことがあるが、本人は全く記憶になかった。

あの頃の母の年齢よりも少し上の年になった私は、育児の経験はないが、当時の母の気持ちもなんとなく理解できてしまう。自分自身がなにか大きな感情に飲み込まれてしまった経験があるからかもしれない。今の私がそれに飲み込まれ難くなったのは、長年の治療のおかげもある。

ちなみに母は今でも癇癪を起こすことがある。数年前に帰省した際は料理中に包丁が切れない(前から父に包丁を研いで欲しいと言ってたらしい)ことで、キレてました。
あと、私が大きくなるにつれて母の情緒も安定して、父や友達と旅行に行ったりするようになったことで、神経質になることも少なくなりました。心配性ではあるが。
我が家は両親と私の3人家族だが、母がキレることに関しては二人とも慣れていて、父も昔からヘラヘラ流していて喧嘩にはならず、お互い私が寝てる間なんかに悩みを相談してたりする割と仲の良い家族であり、両親であります。

自分語り終わり。

こうやって改めて書いてみると、これも「虐待だ」と言われそうだし、私もこれはちょっとなぁと思うけど(笑)
なんだったら私の記憶が間違ってる可能性もあるけども。

前置きが長くなりました。

桜庭さんの小説は昔から好きで、でも最近の日記はちょっと共感できないところもあったりしつつ読んできました。
そのちょっとだけ共感できなかった『東京ディストピア日記』から地続きのもの、として読みました。文芸評論なんか習ったこともない、ただ娯楽として本を読む私はそう読みました。
そんな私は文芸評論家の人が書いている「批評の自由が」とかそういうことはさっぱり理解できず、ただ「実在の人物に被害が及ぶ可能性がある」から訂正をして欲しいと言ってることにしか共感が出来ませんでした。
小説とはいえ、主人公の著書のタイトルは実在のものだし、そこで間違ったことを書いてしまった事によって、実在の人物に被害が及ぶ可能性も当然あるわけで、それが発生するかもしれないとなった時に出来うる配慮をしなければならないのは当然なのではないかなと考えます。
田舎の風評被害といったものは、都会暮らししかしたことがない人には理解できないかもしれないですが、大変なことです。都会のように関わらないで生きていける社会ではないと思います。

また、これを機会に、言われっぱなしで泣き寝入りするしかなかった人が「言ってもいい」ことになると良いね。とも思います。
有名作家でも、仕事を盾にすることでしか自分の意見を聞いてもらえない世の中はダメだと思うし、もっと一次創作とその作者をリスペクトすべきじゃないですかね。

なんか的はずれなことをたくさん書きましたが、一連の流れを追ってTwitterのまとめを読んだ私の感想は以上です。

作家・桜庭一樹さんが翻訳家・鴻巣友季子さんの文芸時評に抗議。(Togetter)

(9月16日追記)全文読んだので、読んで私が感じたことを書きました。