あさのますみさんのエッセイを読んだ。
先に読む予定の本があったのに、今日図書館から順番がが巡ってきたこの本を「冒頭だけ…」と思って読み始めたら止まらなくなって結局最後まで読んでしまった。
読書メーターに感想を書こうと思ったけど、断片的に自分の思いが湧き上がってきて、感想にもレビューにもならない。500文字では収まる気がしない。と思って布団に入る前に消したPCを再びつけた。
「君」は著者であるあさのさんの古い友人であり、初めての恋人であった人で、その人がある日自死を選びこの世を去る。
その「君」への手紙として本文は綴られる。出会った頃、付き合っていた頃、そして亡くなったあとの葬儀、遺品整理。
作中に「君」のメモの内容が出てきたりして、どんなうつ病の本よりもリアルだと思った。
「鬱がどんなものかわからないけれど身近にそういう人がいる」という人の場合は知る一助になるのではないかと思う(もちろん個人差はあるので同じじゃないけど)。
逆に、闘病中の人はひょっとしたら強く感情移入しすぎて病状に影響が出るのかもしれないというふうにも思う。けれど、自分の周りの人がこんな大変な思いをするなら思いとどまろうと思ってもらえるのかもしれないし、そうなったらいいなとも思う。私なら絶対亡くなった「君」に感情移入して辛くなると思った。
この「君」は思春期の頃に父親を自殺というかたちで無くしているので、服薬の恐怖があったのだろうとは思う。
服薬している本人よりも、周囲の方が様子を見ていて辛かったりするのだろうと思う。副作用でぼんやりしていたり、朦朧としている姿をみたこともあったのかもしれない。
でも、数十年前と今では薬の種類も増えてるし、治療方法も昔と全く同じではないので、そういう服薬への不安を伝えた上で乗り越えていける、「君」と相性のいい医者と出会えていたら良かったのになと思わずにはいられない。
もちろん、薬を飲むだけでは治らない。いっぱいいっぱい休息した後に、少し身体が動くようになったら、好きなところに出かけたり散歩したりしてセロトニン出してちょっとずつ元気になればいいのだ。
元通りにはなれないけど、自分の闇の部分は思ったより小さくはならないけれど、闇の部分が小さく感じるくらい「その他の部分」を大きくしていくしかないように思う。
そうして、『脳裏に浮かぶ嫌な考えを、考えないようにすることは悪いことじゃない』『頑張らないことは罪じゃない』と思っていくしか無いのだと、個人的には思う。
長い時間をかけてひとつひとつ、自分を赦していくしか無いのだと思う。
そうやって自分を赦していく過程で、絶対周囲に責められたりもする。だけど、そうしないと壊れる自分を壊さないことがまず大切で、必ずしもそれを理解してもらう必要は無い。
そうやっているうちに、いつの間にか、生きることがそんなに苦じゃなくなってることに気づく日がくるかもしれない。
たしかに長い時間かかるかもしれないけど、治療を始める前に「長い治療を戦わなければならない」と身構える必要は本来だったらないのだと思う。
そこを身構えたり、眠れないからなんとか眠ろうと努力して眠れなくて落ち込んだり。こういうのが鬱なのだな…と改めて痛感させられた。
経験を経た私が、患者に何を言ったとしてもきっと相手の心には響かないんだと思う。「そんなこと言ったって今はもう元気なんでしょ」って思わせて、そう思ったことでまた落ち込ませるだけかもしれない。
と、なんだか、そんなことばかりを思って読んでいました。
生きようと頑張るあまり、自分を傷つけてしまう。自分を殺そうとしてしまう。
あまり理解されないかもしれないけれど、そういうことの繰り返しだったように思う。
「辛いことはこれ以上考えたくない。でもひょっとしたら考えた先に答えがあるのではないか」と願ってどんどん嵌って抜け出せなくなる。どうしようもなくなってODをして気絶するように眠って翌日目覚める。その繰り返しで。
今だったら「あ、これ以上はやばい。考えるのやーめた」ってできる。これが出来ないのがうつ病なんだろう。