エンピツで書いてた頃の日記を、少しずつ移動させています。
全部移動できたらそっちを公開する予定です。
…えと、有料更新しなかったので今は画像が切れて結構汚い感じになっています。
過去の日記を見直すのは結構ツライ作業だったりもします。
思い出したくないことも書いてるし、一時期のものは本当に痛い言葉たちが綴られていて、今はまだ思い出したくないので…大変厳しいです。
でも、そこにある言葉たちは『本物』だから。
自分が築き上げてきたものだから、忘れてしまいたくはありません。
あまりに辛いことが重なると、不思議と記憶に残らないものです。
ただ、『凄く辛かった』という印象だけが残って、その頃の思い出は殆ど消えてしまっているんです。
…自分の中にフタをして閉じ込めているのかも。
だからこそ、そんな時に書いたものは重要だと思うんです。
そんなことを思いながら過去の日記を読み返しています。
病院にかかっていたわけではないですが、あの頃私は確かに『鬱』だったのだと思います。
今は、多分違うんじゃないかと思います。
さて、そんな経験をして、よかったなと思えることがひとつ。
同じように苦しんでいる人に共感することが出来ることです。
別に立ち入って口を出すつもりもないけど、スタンス的には『私はあなたのことを否定しないからね』ってとこでしょうか。
ただ、モロ写真をWebに上げてあるのを見るのはあまり得意じゃないです…。
というのも、高校生の時に『うっかり』自分の左手をカッターでざっくり切ってしまって、5針縫った時の記憶があまりにも鮮明で、リアルに思い出してしまうからです。
文章で書いている分には、全然抵抗なく読めます。
…話がそれましたが、普通に生活が出来ないことを責める人もいるでしょうし、どんなに説明しても解ってくれない人はダメだと思います。
そして、なによりも自分が自分を責めているんだと思います。
自分が自分のことを責めている時に、何が必要なのかと言うと『それでいいんだよ』って認めてくれる知人だと思うんですよね。
自分が『これじゃだめだ』って思っていても『そんなの全然問題ないよ』っていつも言ってくれる人が必要なんだと。
そうやって、認められていくうちにラクに考えられるようになるんじゃないかなと思います。
あとは、だんだん自分自身で頑張れるようになっていくんでしょう。
鬱のときは、生きること自体『超頑張らないといけない』から、その他のことをするなんて出来ないですよね。
…私もまだその途中段階です。
今月皆勤できたら、またステップアップかなと思って、気合入れてます(来月倒れる気がしますけど)。
あとは、苦しい原因がほんとは自分自身わかってるんじゃないかなと。
私の場合、比較的単純な理由だったせいかもしれませんが、それに執着してたせいでいつまでも苦しいままでした。
頑張って断ち切ったことで凄く心が軽くなりました。
そのせいで、暫く無気力と戦ったりもしましたが、時間が少しずつ解消させてくれています。
あとは、変に社会に縛られないでいたいです。
『社会』や『常識』に縛られてばかりで他人のちょっとした言い回しやニュアンスを感じられない人にはなりたくないものです。
常識や正しい言動や行動からは逸しているかもしれないけど、その中にその人が伝えたい『微妙な感想』が含まれていたりするんじゃないかなと思います。
その辺を汲み取れない人って、結構たくさんいますよね。
否定してしまうことは簡単だけど、理解する努力もしたいですね(自分に余裕がないときは否定してしまいがちですが)。
ビジネスの時は、最低限の言葉遣いやマナーを自分自身が気をつければいい。
だけど、そういうのが出来ない人を否定するのは違うかもしれません。
常識とはかけ離れた場所で、新しいものが生まれるんですからねっ。
そういった、少しの心遣いの積み重ねが、新しいものを生み出したり『大人になりたくない』って感情を払拭させたりしていけるんじゃないでしょうかっ。
『子供が憧れるような魅力的なオトナ』を目指しましょうよ。放っておいても年はとっていくんだし。
私も頑張るよ。かわいいおばあちゃんになりたいしねっ。
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